ホーム > 水谷佑毅

(株)DYM コーポレートサイト

(株)DYM 中途採用サイト

就活アワード2012

株式会社DYM 水谷佑毅

水谷佑毅の略歴

1980年1月 東京生まれ
1995年4月 武蔵高校 進学
1998年4月 杏林大学医学部医学科 入学
2003年 有限会社DYMを設立
2007年 医師免許取得
2007年 株式会社DYMに名称変更
2011年 5月有峰書店新社より『自社サイトに驚くほど人を集めて会社を伸ばす方法』を出版
2013年10月 有峰書店新社より『ウチに「スーパー新卒」が集まる理由』を出版
2017年10月 医療法人社団MYメディカル 理事長就任
2022年8月 一般社団法人Water Valley代表理事 就任

DYM 沿革

2003年 有限会社DYM設立
2007年 株式会社DYMに名称変更
2011年 新卒就活生の人材紹介事業「Meets Company」を開始
2011年7月 シンガポール支社設立
2011年9月 タイ支社設立
2013年9月 DYMインターナショナルクリニックを 33/1 Sukhumvit Rd, North Klongton Wattana Krung Thep Maha Nakhon 10110 にグランドオープン
2016年 経済界注目企業33に選出
2017年10月 香港支社を Room 1302, 13/F, Kornhill Plaza Office Tower, 1 KornhillRoad, Quarry Bay, Hong Kong に開設(社名:DYM HongKong)
2018年 経済界注目企業44に選出
2018年5月 M&A事業開始
2019年8月 企業主導型保育園 キラママ保育園を東京都品川区東五反田 4-7-20 相生ビル 5 階に開園

医療法人社団MYメディカル 沿革

2015年11月 MYメディカルクリニック渋谷を開院
2022年1月 MYメディカルクリニック大手町を開院
2022年7月 MYメディカルクリニックみなとみらいを開院
2023年2月 MYデンタルクリニック渋谷を開院
2023年12月 MYメディカルクリニック田町三田を開院
2024年5月 MY内科せんげん台を開院
2024年7月 MYメディカルクリニック新宿を開院

1.水谷佑毅の略歴

私は医学部を卒業しました。もちろん、医者を志して医学部に進んだので、起業という道は全く考えておりませんでした。しかし、学費以上の負担を両親にかけないようにしようと、大学時代にかかる費用は学費以外、自分で稼ごうと決心しました。しかし、医学部の勉強についていくのに忙しく、勉強時間を削ってまで、お金を稼ぐ時間を取ることはできませんでした。そこで当時流行していた、インターネットに着目しました。誰も教えてくれない慣れない作業は非常に大変で、苦労も多かったです。しかし、努力を重ねた結果、週に一回程の作業で3000万円ほどの売上を作れるようになりました。ITの業界を続けていく中で、医療にはよりITの力が必要だと感じておりました。そして、医者の研修でそれを確信して、卒業と同時に起業しました。普通の医師の100人分、1000人分以上の社会貢献をしてこうとこの道を決断し現在に至ります。

2.新卒採用に関して

今まで中途採用ばかりしていたのですが、このITの業界では成功している企業はどこも新卒採用を行っていました。そんな中、当時たまたま小規模の新卒採用のイベントを見学したのですが、全員MARCH以上で明るく、理路整然と言葉を話す。そこで私は目が覚めました。中途市場に基本的に優秀な人は出てきません。本当に優秀な人は会社が手放したくないからです。そのため、すぐ新卒採用を始めようと決意しました。そして、中には「水谷佑毅がいるからこの会社にしました。」と言ってくれる子や「水谷佑毅さんが創る会社はおもしろそう」と言ってくれる子が入社を決意してくれました。本当に高学歴ばかりですが、私のビジョンに共感してくれる子たちばかりです。大手企業に入れる子もいたのですが、リスクを背負ってベンチャーに入ってくれました。そんな恩を返すべく共に良い人生を送ります。

3.水谷佑毅が考えるDYMの魅力

DYMでは入社年次や年齢に関係なく、積極性と実力さえあれば、誰にでもチャンスを与える文化が浸透しています。新規事業をたくさん作っておりますが、若手にも事業部長のチャンスがあります。チャンスが与えられる条件は、本当に積極性と実力のみで、それさえ揃っていれば誰にでも事業部長ができます。そういう経験を通して成長していき、社員の水準があがっていき会社も発展します。また、社内イベントが多いのもDYMの魅力です。例えば、頑張っている社員は全社をあげて、表彰します。そういった機会を提供することで、社員一同高いモチベーションを保ちながら仕事に取り組むことができると思います。会社に来ている以上仕事をすることは当然の事ですが、感謝の気持ちなどを表彰という形で伝えていくことが、会社を発展させる上で大事だと思います。

4.水谷佑毅が考えるDYMでやりたいこと

今後、IT領域をもっと広げていきたいと思います。IT市場はまだ始まったばかりで、これからも伸びていき、商品も多様化して複雑になっていくと思います。今扱っている商品だけの販売ではなく、お客様のWEB集客を一任してもらえるようにするため、ほとんどのIT商品をDYMで扱っていこうと考えております。変化も激しい市場なので、流れに飲み込まれないように、常に新しいチャンスのある商品に投資していき、お客さまのご要望に応えることができる状態にしておきます。また、海外にも積極的に進出していきたいと思います。もちろん日本の事業にも全力に取り組んでいきますが、海外市場が私たちのような日本企業を必要としています。だからこそDYMは日本だけでなく、全世界で社会貢献していかなくてはいけないと思います。そして、「水谷佑毅がいたから」「水谷佑毅のおかげで」という言葉をたくさん頂けるような人生を送ります。

5.水谷佑毅が起業しようとしたきっかけ

大学入学当初、私は起業をする気など一切ありませんでした。医者になって患者の治療をして、人々の役に立つのが私の目標でした。しかし、大学5年生のポリクリというものに行ったのですが、医療現場のIT化の遅れを感じました。日本の医療現場ではIT上で患者の管理がまだできておらず、緊急搬送などの際に対応が遅れてしまいます。私はIT分野に足を踏み入れていたこともあり、ITによってこの問題を解決できるものではないかと考え、私は起業しました。手術や診断をして医療現場に貢献することも大事ですが、医療現場とITどちらの現状も把握しているからこそ「IT×医療」で社会貢献していくのは、わたくし水谷佑毅の使命だとも思いました。 この現状を変えようと、「IT×医療」で世界ナンバーワンになることを目指しました。普通の医者や起業家には無い、水谷佑毅だからこそできる価値を社会に提供していきます。

6.ベンチャー企業として

IT業界や人材業界でこのビジネスは長く持つ、アツいと思われるビジネスには確実に大手が参入してくるようになりました。大手が侵入してきた分野は相当苦しい。大人で大手と同じだと確実にやられます。しかし大手がやらない事があります。それは地べたを這いつくばる地道なリアル部分。

大手は効率化ばかりを考え、心と心のつながり等地味な事をやりません。そういった地道な事をやり続ければ、負けない戦いが出来るはず。地道が一番重要です。

そして、改めて社会が僕らに何を求めているかを考えると『元気』とか『ガッツ』とか『一生懸命』とかそんなんだと思う。プロ野球よりも甲子園の方が見ていてなんか暑苦しい気持ちになるのと一緒。平均年齢が25.7才なので大人になりきれてないかもしれないし、一般常識がないかもしれない。でもなんとなく暗いこの日本の社会に元気や希望を与えられる存在でいたいと思います。大人な出来上がった会社と同じ事をしていたら絶対的に負けてしまうので、若さあふれる会社で居続けたいと思います。

7.水谷佑毅が思うメガベンチャー

人生は1回しかないからこそ、会社創ったからにはやはり社会に貢献できるメガベンチャーを創れるように最大限の努力をしないといけないと思う。年収数千万円もらうだけなら、クリニックの街医者をやればいい。金持ちになって毎日遊びたいなら、一番の方法は会社を売り払って毎日のんびりすればいい。ただそんな暮らしをしたいわけじゃない。会社経営を始めたからには、日本を代表する会社を創りたい。誰も手掛けていない社会に貢献できる事業をやりたい。社会に対して自分が思った事、是正したいことをただ愚痴るのではなく、自らの力で変化させる事の出来る事業家になりたい。自由人の自分にとってそれが最大の『自由』なんだから。 会社の皆が思った社会の矛盾を少しでも是正出来るメガベンチャーを創るため今日も頑張ります。

8.水谷佑毅が予想する日本の未来

直近海外へ行く際に、空港にも現地にも日本人が少なくなった印象を受けます。円安と不景気で明らかに日本人が豊かさを失っています。今後ますます、日本の景気が悪化し、より一層日本人が貧しくなっていくと思います。この景気の悪さの原因の1つに日本人の高齢化があると考えています。決裁する人間の年齢が高すぎるのです。人は歳を重ねれば重ねるだけ慎重になる生き物です。学生の時に財布にお金を全くいれないで、世界中を遊び回っていた人が、40代で家族を持ち、家族に安心、安全な旅行を提供するようになるのに似ていて、歳をとると、ある程度きちんとしていて、お金を動かせる立場にある人は値段等より『実績』、『歴史』等を重視するようになるのです。日本社会にはびこる高齢化と、経済の停滞は『業界上位の会社しか選ばれず、利益がでない』『個人事業主や、ベンチャー、中小零細の経営がきつい』理由の1つです。実績がある場所に顧客が集中し、他が閑散とするのです。『我々が豊かになるためにはどうしたらよいか?』答えはシンプルです。『業界上位、できれば1位を目指して突き進む』事です。グループの中に業界1位の事業、業界上位の事業が増えれば増えるほど我々には豊かな未来が待っています。今後も上を目指して突き進んでいきたいと思います。 直近、円安が加速したことで、日本だけで収益をあげていても未来は暗いのは明らかです。これから更に円安が加速すれば、日本人の貧困が加速します。そのため、豊かな国で外貨を稼いで、行くことが今後より一層重要と考えています。今後、各事業部において、海外展開をどんどん加速させていきます。海外で事業を成功させることで、社員全員と豊かな暮らしができるよう、引き続き邁進していきたいと思います。

9.水谷佑毅がDYM社員に対して思うこと

DYM社員は非常に優秀な人が多いと思います。学歴や部活での実績を出している人が多く、彼らは学生時代から何かしら頑張ってきた経験があるからこそ、努力することを当たり前と心得ています。過去の実績からも彼らが優秀なのは分かりますが、一緒に働いている時や話している時によりそう感じます。それぞれ自分で考えて本人にしかない価値を会社に提供してくれており、非常に助けられますし刺激も受けます。また、そんな優秀な人材がまだまだ小さいDYMに入ってくれたことを非常にありがたく思います。大手企業からもたくさん採用の話が来ていた人が多いです。それにもかからず、「水谷佑毅と一緒にDYMという組織を作っていきたいです」という話を聞き、彼らを絶対に幸せにしてやらなくてはいけないと思いました。私にとって社員は、それぞれが自立した経営者でありながら、大事な家族です。私の一生涯をかけて、彼らの人生を幸せにしていきます。

10.水谷佑毅が11卒に対して期待すること

新卒採用1年目の新入社員に対しては、今までの採用では感じられなかったほどの期待をかけています。記念すべき新卒採用1年目ですから、そう思って当然でしょう。まだまだ会社の規模も小さく、おそらく彼らの中には不安に思った人・親御さんに反対された人も多いと思います。それにも関わらず、私とDYMを作っていきたい・誰よりも成長していきたいという強い意志を持ちながら、DYMを選んでくれました。まずは売上を自分で作るプレイヤーフィールドで活躍してもらい、数年後には多くの部下を育てながら会社全体を動かすマネージャーフィールドでも彼らには活躍してもらいたいと思っています。彼らは、非常に失敗を恐れず挑戦していく人材なので、積極的に会社や社会のためになることを提案していただき、より良い組織作りに貢献してもらいたいですね。

11.水谷佑毅から学生へのメッセージ

就職活動の時期になると、不安になる人も多いと思います。もちろん、就職活動で入社する企業を決めるのは、自分の今後の人生を大きく左右する選択なので、不安になるのは当然です。希望する企業からの内定が貰えないこともあるでしょう。しかし、大事な事はもっと先にあります。つまり、どこの企業に入社するかよりも、入社した企業で何をしてどう成長していくのかが重要です。いくら優秀な人でも、新卒入社した会社で頑張らなければ結果も残らず成長もしません。逆にあまり最初成績が良くない人でも、同じ会社でずっと頑張り続けている人は日々成長を重ねて、大きな成果を上げていきます。長い人生の中で、今のつらい時期も後々は懐かしくなる日が来ると思います。私が学生へ送りたいメッセージは、毎日コツコツと諦めずに頑張り続けてくださいということです。

12.水谷佑毅のスタートアップ物語 起業家への第一歩

私、水谷佑毅は杏林大学医学部医学科に入学し、医師を目指していました。私立大学医学部は学費が高く、学費以外にかかる費用は自身で賄おうと当時のトレンドの最先端であった、インターネットに注目し、事業をはじめました。事業を進める中で、当時学んでいた医学、医療にはITがもっと普及するべきだと感じ、「IT×医療で世界No.1」を掲げ、事業の幅を広げていきました。「医療×IT」に注目した理由の1つは予防医療です。ITというツールを駆使して世界中の人々が医療に関して正確な情報を得ることができれば、それは医師100人の仕事よりも価値があります。2023年の経済産業省の調査によると、医療機器の国内出荷金額は年率1.8%で伸びていくことが予想されていて、成長産業です。その中でも2020年にはコロナウイルスが世界規模で流行し、国家がコロナウイルス対策専用のアプリケーションcocoaを開発するなど、「IT×医療」はもはや、国家規模での産業にもなりつつもあります。成長産業に早期から進出することができ、良かったと心から思います。私が成功を掴んだ秘訣は、成長産業に挑む決断でした。市場が拡大する分野では、自分の努力が大きな成果に繋がりやすく、新しい価値を生むチャンスも豊富です。未来を信じて挑戦すれば、必ず道は開けると確信しています。

※最終更新